『恋空』を読む(3):果たしてそれは「脊髄反射」的なのか――「操作ログ的リアリズム」の読解

ここでは、「『恋空』を読む(3):果たしてそれは「脊髄反射」的なのか――「操作ログ的リアリズム」の読解」 に関する記事を紹介しています。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
(これまでの濱野智史の情報環境研究ノート」はこちら)■1. 「脊髄反射」という形容句に注意してみる前回筆者は、『恋空』のストーリー展開について次のように説明しました。この作品の中の登場人物たちは、しばしば突如として鳴り響くケータイに「脊髄反射」的に反応することによって、いわゆる「内面」を描くような状態――ここで「内面」とは、さしあたり《自分で自分に語りかけ、思考し、問いかけるようなモード》といった意味合いで使っていますが――を中断させられてしまっている、と。つまりこの作品は、「内面主導型」ではなく「ケータイ主導型」の展開を見せているというわけです。さて、ここで「脊髄反射」という語句を筆者は用いましたが、それは故なきことではありません。
>>ネットワークビジネス詳細はコチラ

>>投資情報←初心者が簡単に20万が1億周知のとおり、この「脊髄反射」という語句は、90年代以降のメディア環境、特に若年層のケータイ・コミュニケーションのあり方を形容するにあたって頻繁に用いられてきました。その典型的な例はこういうものです:若者たちは四六時中ケータイをさわり、メールを一日何十通も絶え間なく交し合う。そのコミュニケーションには特に「内容」はなく、ただ繋がっていることをだけを確認するための「コンサマトリー(自己充足的)」なものに過ぎない。それはあたかも「脊髄反射」的で「毛繕い」のようなものに堕しているのだ、と。第6回でも指摘したように、その風景は時として霊長類研究者からは『ケータイを持ったサル』(正高信男)と形容され、また一方では社会学的な抽象度を高めて「繋がりの社会性」(北田暁大)と概念化されてきましたが、これらの言説は、前回筆者が『恋空』に対し提示した解釈と完全に共振しています...

ニュースの続きを読む

(引用 livedoorニュース)


◆相性関連ブログ記事
関連のブログ最新記事はありません

スポンサーサイト
この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
この記事のトラックバックURL
http://renaiaisyo.blog122.fc2.com/tb.php/1298-b51102e7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。